姉弟関係

娘と息子は常に一緒で仲が良いといえばそのように見えますが取っ組み合いのけんかが絶えませんでした。どこの家庭でもお姉ちゃんだけずるいとか弟ばかりずるいと言って、嫉妬をしたり、ライバル心を持つことがありますが、この二人は損得勘定がとても強いので普通に言い聞かせて喧嘩の仲裁をする事ができませんでした。

例えば、おやつやご飯も見た目でどちらか一方の量が多く見えた場合には、喧嘩が始まり、時には、家のものを破壊するので計量して見せて、納得をさせなければいけませんでした。

家にあるすべてのものに名前を書いたり、シールを貼って持ち主がわかるようにしていないと喧嘩になってしまいます。しかし、持ち主が解るからこそ勝手に触ったとか心狭いことを言って喧嘩になることもありました。こんな状態ですから、貸してあげるということもできませんでした。特に息子は、絶対に貸すことができませんでした。

母親である私のものでさえ、名前を書いていないと私には使う権利がないという感じで怒り狂う始末です。家族で共通のものには「みんなの物」と書きますが共通のものを誰がどのくらい使用するかの時間や頻度で喧嘩になります。子供たちの好きな本でさえもシールや名前を書いて所有者を明確にしていないといけない状態でした。

家族でご飯を食べる時も椅子の位置やテーブルを使用する範囲で「こっちに来るな!」「寄りすぎている!」とくだらないことで喧嘩になり、穏やかに食べることもできないのでテーブルに境界線のテープを張ったり、椅子の位置をテープで張ってみたりしました。

しかし、不注意な娘が飲み物やみそ汁、食べ物を毎回、ひっくり返し、弟が「僕の服が汚れた」と騒ぎ出すので2人が高学年になる頃には、服を脱がせ、パンツだけにして、ミニテーブルを一人一台用意し、もちろんテーブルの位置はテープで印をつけて、並んで食べさせました。

子供たちが小さい頃は、思いやりのある子に育ってほしくて、「貸してあげたら?」と声をかけていましたが、それがかえってひどいトラブルになるのでだんだん、あきらめるようになっていきました。

娘が三歳になるかならないかの頃に近所のお友達と遊んでいました。友達のお子さんが娘が使っている鉛筆を使いたいそぶりを見せたので「貸してあげたら?」と私は娘に声をかけました。

すると、娘が椅子に座っている私のそばまで歩いてきて、いきなり鉛筆で私の太ももを刺しました。びっくりしました。貸したくないとしてもこんなことをするなんて…

こんなことがあってしばらくした頃、公園で娘と同年代の女の子と砂場で遊んでいる時にこんなことがありました。

その子のお母さんが自分の娘に「お友達にもバケツを貸してあげたら?」と声をかけました。するとその女の子は、そばにいた私の頭をバケツで思いっきりたたきました。目から星が飛び散るかと思うほど痛かったです。

その子のお母さんは、とてもショックだったようで娘さんのことをとても叱っていました。鉛筆で刺すほうが怖いですが、多少、気が強い子供ならこういう行動に出ることがあるのかと少し、安心をしました。

乳幼児期ならよくあることかもしれませんが私の子ども達は小学生になっても中学生になってもこんな感じでした。

息子は、縄張り意識がとても強いので、布やひも、家具などを使って自分のテリトリーを囲っていました。子供は秘密基地が好きですが、そんなかわいいものではありません。家じゅう蜘蛛の巣を張り巡らせたような状態で、自分のテリトリーを侵されないように威嚇をしてきます。

毎日、寄るな、触るな、盗った、盗られた、叩いた、壊された、嫌味を言われた、嘘をつかれた、などと殺伐とした会話しかなく、それを諭そうとすると恨みの矛先が母親へと変わり、姉弟喧嘩の仲裁だったはずがいつの間にか、姉弟同士で結託して母親をなじるという行動に出る子ども達にイライラし、疲れ果ててしまいました。

そんな二人にどう接したら話が通じるのか解らなくなり、だんだん、ふさぎ込むようになって気が付くと鬱気味になり、寝たきりで過ごすことも多くなっていきました。 

仕事も登校拒否をする息子をスクールバスのバス停まで担いで行く気力がない日は、休むことがあり、長続きせず、転職を繰り返していました。

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2件のコメント

  1. お子さん方の現在はどうでしょうか?
    落ち着いているとしたら、どのような経緯(対応)で落ち着かれたかコメントしていただければ幸です。

    1. おはようございます。娘が4年生くらいの時からペアレントトレーニングに参加をして、私自身の気持ちのコントロールの仕方を学びました。子供達には、教えたいことや注意をしたいことが山ほどありますが、ペアレントトレーニングでは、子供たちの行動を①好ましい行動②嫌いな行動(減らしたい行動)③許しがたい行動(やめさせたい行動)と3つに分けて子供を観察して、私自身が何でもかんでもわめき散らすことをやめました。ほかにもいろいろと教えてもらいましたが、余裕のない子育ての中では、なかなか実践はできませんでしたが、参考になることがたくさんあったのでお勧めです。これからいろいろと投稿をしていきますが、脅し文句をなるべく言わないようにしました。児童相談所に預けるからね。といったときは、実際に1週間でも1か月でも預けました。児童相談所はなかなか動かないので私が悪者になるしかなく、この状態では、子供を虐待してしまうと言って預けました。何年もかけてですが、お手伝いをたくさんさせました。お手伝いを嫌がったり、うまくできずに大騒ぎになり、とても大変で毎日が戦いでしたが生活に必要なことは、身につけさせないといけないと思い、ここに関しては、スパルタでした。けれど精神力があったわけではなく、私も心を病んで寝込んだりすることが多かったのですがこれが後々、お母さんを助けないといけないという思いやりにつながりました。私は、世話好きなところがあり、何でもかんでも手伝ってしまうところがありましたが、なるべく見て見ぬふりをしました。そして、中学を卒業した時に娘を全寮制の職業訓練校に入学させました。息子は中学を卒業した時に一人暮らしをさせました。二人とも問題ばかりおこして、すべてを私のせいにするところがあったので、距離をとることにしました。決して、穏便な話ではなく、「やれるものならやってみなさい。」「お母さんはひどい。出て行ってやる」という感じでした。このころには、ある程度の家事は、できるようになっていましたが、全部、一人でやらないといけないという大変さを身に染みて感じたようです。私は、差し入れはしませんし、外食やお出かけに連れて行っても家事を手伝いにはいきませんでした。物を無くしたと言って暴れて、けがをしても手当てをしに行き話は、聞いてあげますが、ひっくり返った部屋をかたずけてあげることはしませんでした。そのせいか、初めてお母さん、今までありがとうとかお母さんごめんねという言葉を聞けるようになりました。子供達とは、お母さんはライオンの子育てだね。崖から突き落とすよね。お母さんが投げたお皿が見事にカーブして頭を切ったよね。(私もかなりヒステリックになっていました。反省はしています。)と笑いあって話せるようになっています。娘は職業訓練校で知り合った同じ発達障害の彼氏と同棲をして3年目くらいになります。部屋のかたずけができないので、ヘルパーに入ってもらい、計画相談の方に目標を立ててもらい、様子を見てもらっています。区役所の精神保健福祉士の方にもお世話になっています。今年から制度が縮小化されて利用ができなくなってしまったのですが、精神障害や知的障害の方の一人暮らしを支援する方にも入ってもらっていました。金銭管理、行政手続き、通院同行、余暇活動、就労支援、部屋の片づけ方の指導などをして、自立をうながしてくれました。ここ一年間は、だいぶ落ち着いていますが娘は自傷行為があり、救急搬送されて精神科に入院することもたまにありました。今年二十歳になり、ごみ屋敷だった部屋をかたずけることも覚えて、今までのことが嘘のように穏やかに生活をしています。週に一回くらいですがアルバイトもしています。たまたま、彼氏が働き者で優しいので、鬱になっておかしくなるくらいならあまり働かなくていいと言ってくれて娘は助かっています。息子は生活の自立ができているのでヘルパーをお願いする意味がなく、支援をしてくれる方をお願いするタイミングがつかめず困っています。友達も作らず、私だけを頼るので、通院や手続きを私が手伝うことがたまにあります。私が考える自立とは、すべて、一人でやれということではなく、困ったときに助けてと言えること。親ではなく、他者とコミュニュケーションを図りながら生きていけることなので、息子が二十歳になる頃までに私以外の誰かに相談ができるようになってもらいたいと思っています。息子は精神的に落ち着いて、言葉も達者ですが虚弱体質なので仕事が続かないのでまだまだ、見守りは必要です。時々、キレて部屋で暴れているようですが…お子さんはおいくつですか?

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