娘と息子の転校

娘と息子は常に行動をともにしていました。周りの方からは仲が良いと言われていましたが依存に近い関係でした。娘は友達が欲しいと言っていましたが友達を作ることが出来ずにいました。息子からは友達が欲しいとは聞いたこともありませんが、とにかく姉の後をついていく感じでした。

息子は、支援学級に移りましたが余計に不安定になり登校拒否や暴れるといった問題行動を起こすようになりました。支援学級の担任の先生は男性教諭で感情の起伏が激しく、熱意が無い先生でした。先生がいらいらしている時は、教室の前に子供を立たせて「だからお前たちは障害児なんだ!」と怒鳴ることもありました。授業参観日だったか公開日だったのか保護者が多く、来校しているのに…。

息子は支援学級には行かず、勝手に姉の教室へ通うこともありました。ありがたいことにベテランで理解のある女性教諭だったので、同じ教室で過ごさせてくれることもありました。また、保健室の養護教諭の先生も若い女性教諭でしたが理解があり、普通学級で過ごせない生徒と一緒に息子にも勉強を教えてくれました。

養護教諭の先生は、本来なら支援学級の先生が面倒を見るべきだと息子の担任の先生に意見をしてくれたこともありましたが、改善されることはありませんでした。

支援学級には支援員という補助の先生が数人いました。担任の先生は熱意がありませんでしたが支援員の数人の先生は、子供たちのことをよく考えてくれていました。小学校の周りは田んぼや川、野菜の無人販売所などがあり、一緒に出掛けて目にしたものを題材にして、子供たちにいろいろと話しをしてくれたようです。このころは、息子とは会話がほとんど成り立たず、時々、娘が通訳をしてくれていたのでこんなことがあったのかな?と思うことはありましたが実際のことはよくわからないことがほとんどでした。現在の息子から支援員の方と出かけたことは楽しかったと聞いています。

2年生の5月を過ぎても教科書が用意される様子もないし、授業はどうなっているのかと担任の先生に話してもよくわからなかったので校長先生に相談しました。すると担任の先生は、今から用意をしようと思っていたというようなことを言って、しばらくして、教科書が用意されました。

教科書がそろった後も先生が生徒を指導することができなかったので生徒の出席率が悪くなっていきました。ある生徒はフリースクールなのか塾なのかへ移動をして登校をすることがなくなりました。ほかの保護者の方も不満があるようで平日に登校せずに親子で出かけたりしている人も数人いました。

私は直接、校長先生に相談をしましたがあまり取り合ってもらえなかったので、教育委員会へ相談をしました。これが大きな失敗でした。

息子はパニックをおこして、暴れるタイプですからそれを理解してほしくて、例えば、一日の流れをタイムスケジュールにして細かく確認をしながら見通しを立てて過ごせば、だいぶ落ち着けるとかそういった支援を学校でしてほしいと説明はしました。

しかし、これは息子に限らず、ほかのお子さんにも良い方法であると私は考えていましたが教育委員会のほうでは、私が息子だけを特別に見てほしいと言っているように受け止めたようです。私はモンスターペアレンツと思われてしまいました。

このころに発達障害児の親の会に入っていました。代表者の方のお子さんが同じ支援学級に在籍していました。教育の場は何も改善されず、学校側からは煙たがられ、いたたまれなくなって相談した時に言われた言葉が「一人で戦ってはだめだよ。何人かの意見を集めないと。」

確かにその通りだとは思いますが意見を集めるとかそういう雰囲気ではなかったのです。ほかの母親たちはもめごとが苦手というのか、学校と関わるくらいなら家庭で世話をするほうを選んでいました。何よりも私がみんなの意見を集めるというような力がありませんでした。

息子が2年生の後半だったと思いますが、相変わらず不安定で家でも学校でも暴れて、まともに登校する日も少なくなってきて、私が限界だったので転校をすることにしました。息子を連れて、支援学校も見学しました。さすが障害児教育の専門で先生方も理解があり、教育に工夫がありました。もう一つは公立の小学校ですが支援学級が1クラスではなく、個性によって3クラスに分かれている学校を見学しに行きました。私は、支援学校のほうが安心かとは思いましたが息子が支援学級を選択したのでそちらに転校をすることにしました。

転校をするためには引っ越しをする必要があります。このころ、隣に住む少し変わった家族のところに娘が入り浸って帰って来なくなることが度々ありました。その方に娘が帰宅をするように促してほしいとお願いをするのですが「うちは迷惑だとは思っていないから。」と言って伝わらないのです。娘も「お母さんより優しいからあの人のほうが好き。なんであの人のことを悪く言うの!」とものすごく怒って話になりません。私は、ただ、帰宅をしてと言っただけなのに。もともと認知のゆがみがあり、怒られたと勘違いをして、いきなりキレたりしますし、母親を親として特別に思うことがなかったので、引っ越しをするしかないと考えていました。

息子の学校問題と娘のご近所問題が重なり、引っ越しと転校をしました。二人を同じ学校にすると常に行動を共にして先生方にも迷惑をかけるので別々の学校に転校をさせました。

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