娘の誕生

 1999年6月29日。「おめでとうございます。元気な女の子ですよ」と医師の声の後にいっぱくおいて私の娘は大きな産声をあげました。
どこの親も同じだと思いますが健康な子供に恵まれたことがとても嬉しかったことを覚えています。

 しかし、入院中から気になっていましたが片目は開かず、片足は曲げたまま。「この子、大丈夫かしら?」と心配になり検診のときに医師に相談しましたが「問題ないですよ。この子の癖みたいなものです」と言われそれでも不安だった事を覚えています。

 そしてもう一つ気になることがありました。夜泣きが酷く眠らないのです。眠らないと言うよりは布団に下ろせないのです。音楽をかけたり子守唄を歌ったりして、ようやく眠り始めた頃にそーっと布団におろそうとすると「ギャー」と火がついたように泣き出します。

 色々なおろし方を研究?しましたが全くだめでした。鉛筆1つ、床に落としただけで目を冷まし泣き出す娘。諦めた私は座椅子で娘を抱えて仮眠をとるのが精一杯でした。もちろん日中も泣いてばかりだし、ウトウトしても30分もたたないうちに起きてしまいがっかりする日々でした。

 足や目は自然になりましたがこれが癖だったらちょっと難しい子かもしれないと全く関係ないことなのに考えてしまうくらいでした。

 私は娘の誕生から1週間後に23歳になったばかり。若い上に初めての子育て。そして生真面目な性格。出産した病院では母乳育児に力を入れていて産後すぐから部屋のビデオで子育てのノウハウが流れていました。そして子育て記録のようなものをもらって退院しました。

 真面目な性格の私は当然、記録をつけます。何時にミルクをあげて、何時にお風呂に入れて、何時に寝かしつけて。ミルクも何CCと書く場所がありましたが母乳育児のために量はわかりません。それがまた不安でした。

 市販の粉ミルクを飲まなかったので軽量して追加する事ができずお腹が空いて泣くのかとだいぶ気にしていましたが私は母乳の出が良かったので泣けば与えることができました。けれど泣く娘に母乳をあげようとしてものけぞって嫌がり、育児記録の見本からはかけ離れた生活と寝不足、主婦としての家事仕事に疲れ果てていました。

 夜泣きと小さな物音で起き出す娘だったので夫からは朝、8時まで寝ていたいと言われ、毛布に娘をくるみ朝まで外を歩くことがしょっちゅうありました。

 今思えば、娘がハイハイをするころには育児ノイローゼ気味だったのかもしれません。小さな物音でも泣き出す娘だったので私もかなり神経質になり向かいのマンションで毎日、布団を叩く奥さんに怒りを覚えたくらいでした。

 ある日、洗濯物を畳んでいるところへ娘がハイハイをしてきました。そして、畳んだタオルがくずれました。夫が帰宅する前に家事の全てが終わっていなければならないのに。常に怒られていたので私がそう思い込んでいただなのかもしれませんが…とにかく夫が帰宅したら夫の世話に集中しなければなりません。

 タオルを崩した娘に対してまさに「カッ」となり瞬間的に手で押しのけていました。
 私は自分の行動に驚きすぐに娘を見るとバランスを崩し鼻をぶつけ鼻血を出している姿が目に入りました。

 私が人に対して「カッ」となった経験は初めてだと思います。しかも、赤ちゃんに対してなんてあり得ないことだと思っていました。私は保育士などの資格を持っています。短い期間でしたが保育園や障害者施設で働き虐待する人を理解できないと常日頃、思っていました。その私がこんな恐ろしいことをするなんて…

 私は娘を抱きしめて泣きました。こんな母親で申し訳ないと思う気持ちとどんな子育てをしたらいいのか、何をどうしたらいいのかわからずにただ、ただ、泣きました。


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