食事のしつけとご近所からの誤解

以前も書きましたが、息子は、極度の偏食で、食べられるものがほどんどなく、野菜を食べさせたり、いつもと違う調理方法や味付けのものを出すと必ず、パニックをおこし、「絶対に食べない!」と言って大騒ぎをするので、無理やり、一口だけ食べさせたり、出した食事を食べないのなら、食べなくてもいい。その代わり、おやつやジュースでおなかを満たすのもダメだと言って、水とお茶以外のものを口にすることを許さないということも何度もしました。

息子は、学校でのトラブルや姉弟喧嘩、気に入らないことがあるとすぐに「絶対に食べない!」と食事の時間でもないのにハンガーストライキ宣言をします。明らかに母親を困らせてやろうという八つ当たりの気持ちが見え隠れするときが何回もありました。

娘は、偏食ではないのですが、気持ちの問題で、食事のメニューに文句を言うことがしょっちゅうあり、姉弟二人が食べたいものが違うので、時には別々の料理を用意していましたが、わがままになると思い、「出された食事に文句を言うなら食べるな!」と私も怒って、娘にも食べさせないということもしました。

食事に関しては、育児書を読んだりすると無理やり食べさせるのではなく、好きなものを好きな時に食べさせて、食べることは、楽しいことだと思えるようにしましょうとか、人それぞれ、おなかがすくタイミングが違うのだから、同じ時間に食べましょうということ自体がナンセンスだということが書いてあるものもあり、子供たちの自由に食べさせたりすることもしていました。特に自閉症の特徴が強い息子に偏食はわがままだというのは、酷なことのようにも思いました。

けれど発達障害だからと許してしまっては、食べられるものがほとんどなく、大人になったときに他人と食事を楽しむことができなくなります。社会に出ると食事を通じて、人とコミュニケーションをとる場面が増えてきます。その時に極度の偏食だと食事会に参加できなかったり、料理に文句を言うようでは、「あの人は、気難しい人だね」と思われるようになり、人間関係を築くのが難しくなると考えました。

そのため、なだめたり、すかしたり、時には怒って、一口食べさせ、ハンガーストライキをしたら2~3食ご飯を食べないということも黙認しました。お腹が空けば、反省をしたり、食べなかったことを後悔して、次回からは食べるようになるだろうと期待するのですが、あまり響かないようでハンガーストライキは中学生になってまで、しょっちゅう繰り返していました。息子は18歳になった今もおなかがすいたという感覚がよくわからないので、ご飯抜きは、そんなにつらいことではなかったようです。

会話ができるようになった今だから、「おなかが空いたという感覚がわからない」という言葉が聞けて、だから小さいときにご飯抜きのバツが通じなかったのかと納得しました。おなかが空いたという感覚は、わからないのですが、明らかにイライラしたり、胃が痛くなって体調不良を訴えてくるので、そうなる前に毎食の時間を決めて食べるように今、現在教えている最中です。

息子は、今ではいろいろなものが食べられるようになりました。磯の香りがする魚介類や昆布とウリ科の野菜はいまだに食べませんが、偏食はかなり良くなっています。一口だけ、チャレンジすることも嫌がらなくなりました。

食事に関しては、料理をすることで、興味を持てるようにもしました。娘は、2~3歳の時には、料理に興味を示していたので、まずは娘から教えました。3歳か4歳くらいの誕生日に祖母に子供用の包丁をプレゼントしてもらい、小学校に入ってからは誕生日プレゼントやサンタさんからということで、エプロンやかわいい調理道具を少しずつそろえていきました。

料理中に機嫌が悪くなったり、親子喧嘩や姉弟喧嘩になったりすることもあったので、理想的な母と娘のお料理レッスンではありませんでしたが…

私の食事に関する躾は、時には、ネグレクトという虐待に通じかねない危険なものだと思っています。子供が食事に関して、騒ぐから食べさせないし、私にも怒りがあります。でもなぜ、このしつけをしているのかを思い出すようにしていました。子供達にも「なんでも食べられたほうが幸せだよ。そのほうが楽しいよ。」と声はかけていました。いつまでも子供が言うことを聞かなかったと怒りや、イライラを引きずって、放置をするようなことはしませんでした。放置はしませんがこの戦いは、繰り返されていました。

娘は、口が達者で、お年寄りが好きでした。いつの間にかご近所の犬を散歩しているご老人や同学年の女の子の祖父と仲良くなったりしていました。そして必ず、私の悪口を言います。「お母さんは、ご飯を食べさせてくれない」「暴言や暴力が酷い」など。

休日の日は、娘が朝から犬の散歩に一緒に行くのだと言って、出かけることが多くなりました。しかし、なかなか帰ってきません。朝食もできているのにどうしたのかと心配して探しに行くとよそのうちで朝食をいただいていたりすることがよくありました。(食べさせてもらえないかわいそうな女の子ですから。)私は、引っ越しをするたびにいろいろなご老人に怒られ続けました。子供を虐待している悪い母親だと…今となっては笑い話ですが、 時々、友達に電話をして、「私の人権はどうなっている?」と冗談交じりに愚痴を言っていました。

虐待で亡くなるお子さんがいるこの時代で娘は恵まれていたのでしょう。世間は、子供は弱いと思い、守ろうとするものです。とてもありがたいことです。私は、穏やかな優しい母親ではありません。この子たちには脅しがきかないので、厳しい態度で接することが常にありました。娘からすれば、嫌な思いをたくさんしていたのはよくわかります。他人から私の子育てを理解されないのは、仕方ないのですが責められるたびに悲しい思いをしました。

私も心がすさんでいた時期があり、子育てについてご老人に怒られたときは、にらみつけたこともありました。こんな態度ですから、さらに私の印象は悪くなりました。今思えば、申し訳なく思います。

私はつらかったのですが、娘は憩いの場を近所で見つけ、かわいがってもらうことで心のバランスを保っていたと思えば、古き良き時代の子供は、みんなで育てるという理想的な形だったのかもしれません。

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