息子、小学校入学

病院で発達障害の疑いと検査結果は出ましたが担当の医師が「僕も脳波の異常があるので気にすることはありませんよ。」と不思議な励ましをしてくださり、私が求めていた今後の医療的なサポートとかにはつながらず検査のみで通院は終了してしまいました。

娘は小学二年生になっても寝つきの悪さや夜泣き、生活の場面が変わるごとに「やる、やらない」で癇癪を起すことは治りませんでした。そして、極度の不注意型のために怪我が絶えず、忘れ物や他人の物を間違えて持って帰ってきたり、学校生活も日常生活もとても困っていました。息子も相変わらずで何かしらの医療は必要だと考えて息子が小学校へ入学をするのを機会に子供の発達障害に詳しい病院のある地域に引越しをすることにしました。

息子は普通学級へ入学しました。ベテランの男性教師で優しかったので嫌がることなく登校しました。しかし、自分の気持ちを言葉で表現できない、字が書けない、授業の内容に全くついていけないという状態でした。テストもできる状態ではなかったので、その時間はほかのお子さんに迷惑が掛からないように机を窓側に向けて外を見て過ごすように先生が配慮してくれていました。

運動会では息子が大パニックをおこして、担任の先生にかみついたり、泣いたり大変でした。担任の先生がすぐに音響の音を下げてくださり、記憶はあいまいですが徒競走のピストルも鳴らさないように配慮をしてくれていたように覚えています。先生がいろいろと配慮をしてくださいましたがほかのお子さんと同じように参加することはできませんでした。

学校生活では勉強以外でも問題がありました。もともとおなかが弱かったのも原因だとは思いますが、自分の気持ちをうまく伝えられなかったり、トイレをぎりぎりまで我慢する癖があったので失敗することが毎日のようにありました。着替え一式は持たせてありますが一日に数回、失敗することもあり、着替えが足りなくなるので見たことがない洋服で帰宅する日もありました。下着だけは新品のものを買って返さないといけないのですが洋服は借りることができたのでとても助かりました。

一年生の二学期まで普通学級で過ごしましたが、支援学級で生活の自立の練習や勉強もゆっくり息子のペースで学ぶほうが良いと思い三学期からは支援学級に移ることにしました。

病院は、児童精神科のある大きな病院に通院を始めました。検査の結果、娘と息子は特定不能の広汎性発達障害と診断されました。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です