2人目誕生

娘は生後3か月頃には人見知りが酷くなり、父親に対しても人見知りをしたくらいでした。後追いもひどく私の姿が少しでも見えないと泣き喚くのでトイレを使うときはドアを開けっぱなしにし、料理をするときはおんぶをして重たくなった時は台所のシンクの上に座らせるかごみ箱の上に洗濯かごを置いてその中に入れて私のことが見えるようにしないといけないほどでした。

娘が1歳9か月の時に下の子を出産するために入院した時には実家の母に預けましたが「かーかんは?(お母さん)」という言葉を繰り返し、あまりにもぐずるので孫を連れて外に出て好きなように歩かせたそうです。(まさに母をたずねて三千里状態です)そろそろ帰宅してもよいかと思い声をかけると嫌がって不機嫌になり、また歩かせるということを何回か繰り返したそうです。結局、私が入院していた個室へ娘と私の母も宿泊をすることになりました。

とにかくあきらめない子供でした。本来なら乳児から生活のリズムがついてきてまとめて眠るようになったり、人見知りをして泣いたとしても数時間もすればそれなりにあきらめるのが普通だと思います。それが全くありませんでした。こだわりも強く、何が気に入らないのか毎日、「お風呂に入ろうね」と声をかけると「いやだ」と言い、「それなら入らなくてもいいよ」と私が言えば「お風呂にはいる」と娘が言い、「それなら入ろう」「いやだ」と延々と続き、娘が泣き喚き、私がいらいらするということを繰り返していました。すべてにおいてこのような感じでしたからとにかく大変でした。

弟とは1歳9か月違いですが学年で言うと年子になります。赤ちゃんの時から預けることもできず気難しい娘に弟や妹ができれば一緒に遊んだりして母親に対する執着心も薄れ何かが変わるのではないかと期待して早く次の子供が欲しいと考えていたので希望通りに子供を授かれたことがとても嬉しかったです。しかも難産だったので喜びもひとしおです。

しかし、私の考えは甘かったのです。娘のこだわりや音の過敏さ、生活リズムがつかないことは変わりませんでした。なかなか寝付かず、すぐに起きてきて夜泣きをする娘と生まれたばかりの下の子の夜の授乳が何よりも地獄でした。下の子は不器用というのか吸う力が弱いのか母乳でも哺乳瓶でもうまくミルクを飲むことができず、おなかがいっぱいになる前に力尽きてしまうのでまとめて眠ることができませんでした。いろいろなメーカーの哺乳瓶を試しましたがどれもダメでした。

娘は寝付くときの哺乳瓶の卒業ができていませんでした。おむつもつけています。それも一時のこと。年齢が近いのだから数年もすれば一緒に遊ぶようになるはず。喧嘩をしながらも仲良く成長していくはず。

私の考えは甘かった…

2001年、二人の子供の誕生に喜んだあの瞬間が嘘のような子育ての幕開けとなりました。

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